のすけ、適応障害で仕事辞めたんだってよ。
趣味は年に1回の地元の盆踊りに精を尽くすことと、韓国ドラマ鑑賞。
人生の目標は80歳まで踊り続ける健康な体と時間を持つこと。
どうも、のすけです。
タイトルにあるように、わたくしのすけは昨年の夏に「適応障害」になり、その年の11月に今の職場(介護老人保健施設)へ転職をしました。
気が付いたら、診断を受けてから半年以上が経過していました。
「あんなこともあったな~」と思える思い出になってきたので、今の自分を振り返るとともに適応障害になった時のことを書いてみようと思います。
適応障害って?
厚生労働省の「知ることからはじめようみんなのメンタルヘルス」によると
”適応障害とは、ICD-10(世界保健機構の診断ガイドライン)によると「ストレス因により引き起こされる情緒面や行動面の症状で、社会的機能が著しく障害されている状態」と定義されています。”
”ある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。また、無断欠席や無謀な運転、喧嘩、物を壊すなどの行動面の症状がみられることもあります。”
と記されています。
診断はどうやってつくの?
精神科に行って話をすると簡単に診断がつきます。(本当に簡単に)
うつ病とか他の精神疾患の診断名をつけるにはもっと経過を見る必要があったり、他の症状も細かく観察する必要があったりします。
なので他の診断名を簡単にはつけられないので、まずは適応障害とつけておく、という感じでした。
治療法は?
厚生労働省の「知ることからはじめようみんなのメンタルヘルス」によると
”治療のひとつは「ストレス因の除去」になります。またストレスをストレスと感じる人とそうでない人もいるように、ストレス耐性は人それぞれ異なります。治療はここにアプローチすることになります。つまり、「ストレス因に対しての本人の適応力を高める」方法です。さらに「情緒面や行動面での症状に対してアプローチ」することもあります。”
適応障害はストレスが原因でその原因がわかっているので、それを回避すれば自然と症状は落ち着きます。
ストレスの原因がある場所に居続けたら症状は治まることは難しいでしょう。
のすけのストレス原因
仕事量と人間関係
これが一番だったみたいです。
リハビリの仕事が別に嫌いだったわけじゃありません。
いつも残業は1~2時間が当たり前で、定時に帰ったことなんで仕事ついて2.3か月で1回もなかったと思いますが、それが普通と思ってました。
ただ年々増えていく書類仕事に「患者のリハビリしに来ているのか、事務作業しに来てるのかどっちなんだ?」という疑問が浮かぶようになってからそれがストレスになり始めていたみたいです。
※悩むなら患者様の身体のことで悩んで相談してスキルを身につけたかったんです、その時は。
またその時担当していた患者様とのコミュニケーションがうまくいってなくて、それをなかなか上司に相談ができずにため込んでいました。
後は職場で一つ新しい取り組みを始めてみたくてそれについて動いていたのですが、なかなか上司に受け入れてもらえず、入社5年目で役職もない立場上なかなか行動が起こせず、それもイライラの原因になってました。
いろんなことが一気に重なったことで「なんのために仕事しているんだろ」って考えるようになってからジェットコースターみたいに一気にストレスフルになってダメになっていきました。
のすけの適応障害の症状
疲れが取れない、体力の低下:一日の仕事に耐えきれない時もあったので、定時になってみんなが帰り始めたころ合いを見て、いったん横になって寝てからまた残業している時もありました。
集中力が低下する:疲れもあると思いますが、仕事になかなか集中できなくて、話をするときも書類をまとめる時も時間がかかりました。
不眠:家に帰る時間が遅くなると家で過ごす時間が減る→でもリラックスしたいから自分の時間を過ごす→寝る時間が遅くなるという負のスパイラルが生じていました。
あと、睡眠に入る時ふつうは30~60分くらいは寝付くまでに時間がかかってもおかしくないんですが、あんまりすぐに寝られないとそれがまたストレスでさらに眠れなくて…寝つきの悪さからくる不眠症状がありました。
食欲の減衰:もともと食べることが好きだったんですが、何を食べても美味しく感じないし、食べてもすぐにお腹がいっぱいになりました。
涙もろくなる:次の日仕事って考えた時に急に涙があふれ出てきたことがありました。あとは残業中に他のスタッフが帰る姿をみて、帰れないと焦ってしまい訳もなく泣いてしまったことも。
精神科に行ったきっかけ
次の日仕事って考えた時に号泣した時ことがあって、「あ、もう駄目だなこれ」と悟ったのが受診を決めたきっかけでした。
受診するきっかけも一瞬でしたね。
適応障害という診断がついた時
病院では眠剤と精神安定剤を処方してもらいました。
心が軽くなるかと思ったらそうでもなくて、
「この先私は大丈夫なんだろうか、うまく仕事をしていくことができるのだろうか」
「リハビリの仕事辞めた方がいいのかな」
そんなネガティブな感情が何度も何度も浮かんできました。
兎に角不安で仕方なかったことを覚えています。
転職を決めたきっかけ
その年のうちに転職をすることをもともと決めていました。それも上司には報告していました。
ただ適応障害という診断がついたことを職場に伝えたときにその後の対応がのすけにとってはずさんで「ここで働いていても辛くなるだけだな」っと思って転職のタイミングを早めました。
今思えば、「社会なんてそんなものか」とも思いますが。笑
~
のすけ:「最近調子が悪くて病院に行ったら適応障害と言われました。今後のことについて相談させていただきたいのですが。」
上司:「え?調子が悪いって心の問題?」「適応障害ってストレスが原因だから、まずはストレスが何だったか教えて」
のすけ:「かくかく、しかじか… (仕事でつらいと感じていることを説明。主に患者トラブルと仕事量)」
上司:「じゃあ、患者の担当を変えてもらおうか。あとは仕事の量も減らしてもらうか」
…3日後
上司:「ちょっと相談があるんだけど」
のすけ・上司 面談室にて
上司:「一応役職者にはのすけさんの体調が悪くて仕事を減らしてもらうように伝えさせてもらったよ。でもみんなはのすけさんが仕事を減らしてもらっている理由は知らないわけだ。のすけさんの仕事を減らした分、他のスタッフの負担が増え続けるのは良くないから、のすけさんがいつ頃仕事をもとの量に戻せるか教えてくれない?」
のすけ:「わたしも今自分がこの状況になって整理できていないこともあるのでもう少し考えさせてもらってもいいですか?」
上司:「そっか。じゃあ○○先生(のすけの直近の上司)と相談して決めてもらっていい??」
~
配慮してもらえたことはすごく助かっていましたし、その分の負担が誰かに回っている自覚もあり、周りに申し訳ない気持ちもありました。
でも適応障害を報告したすぐに上司にいつ仕事量を戻せるか聞かれたときは、「これはダメだわ」と思ったのを覚えています。
ただ、そのことを直近の上司に話をしたら
「そんな仕事すぐに戻せるわけないんだから今はこの状況で大丈夫だよ。のすけさんは自分の体調のことちゃんと考えていいんだよ。」
と言ってもらえた時は、そんな複雑な感情なんて吹き飛んでただただ感謝の気持ちで一杯でしたが。
それ以降は仕事で他の優しい上司と話すときは申し訳ない気持ちで良く泣いてました。
相談して配慮してもらえたことで負担が減ったのは良かった半面、いろんな人に迷惑をかけていることが目に見えてわかることでそれもまた別のストレスになっていきました。
ストレスって一つ消しても解決するとは限らないですね。
転職は正解だった?
結果から言うと 半分正解、半分不正解ですね。
前の職場は上司十やり取りがうまくいきませんでしたが、それ以外のスタッフは皆さん優しくていい人ばかりでした。
(もちろん一部苦手な人もいたけれど…)
同期もいてその存在が心の支えにもなっていましたし。
今の職場は焦ってした転職だったのでもっと自分にとって条件の合うところがあったんじゃないのかな、と思うこともしばしばあります。
また、仕事や人間関係のストレスはどの職場にいってもあるのでそれは転職したからって解決する問題じゃありませんでした(汗)
あと、給料も年収で見ると100万円近く下がるのでこれが良かったのがどうかはわかりません。
でも今の職場は17時定時で残業もそれほどなく、早いと18時前には自宅に帰れます。
始業時間は変わらないけど、前の職場よりも30分近く遅く出勤してます。(それでも間に合うので助かる)
自分の時間をしっかりと持つことができるようになったことは大きいですね。
これが何より職場を移って良かったことかも。
ストレスからには逃げられない
のすけの今の状態
新しい職場でも人間関係や仕事のストレスはまた別の形で溜まってきています。(仕事のストレスの大半は人間関係といいますし)
肌荒れや不眠の症状も少しずつ出始めました。途中で目が覚めてしまうことが最近あります。
また仕事後の身体のだるさもあって帰ってご飯を食べ終わると動けない…ってことがほとんどです。
人間関係がよく出来たらきっとのすけのストレスの大半は解消されるといっても過言ではありませんね(笑)
過去の経験が今の自分を少し強くしてくれた
適応障害になって仕事を辞めた時、精神科の先生に「これも一つの経験だと思ってね」と言われました。
悪いことと受け取らず、自分の人生の一つの通過点にしか過ぎなかったと考えることで気持ちは軽くなり、今でも仕事が続けられています。
あの時は溜まっていくストレスが仕方がないのだと溜め続けていましたが、今はストレスを受けている自分の状況が分かるようになってきたと思います。
経験だったといっても同じことは繰り返したくはないので、ストレスを受けた時、受けている今を「どう対処していこうか」考えるようになりました。
ストレスに関する本を読んで自分の精神状態を観察してみたり、運動を習慣を身につけようと筋トレ始めてみたり、リハビリの仕事だけに頼らない自分の生き方を考えてみたり、いろんな自分の可能性を広げる行動力を与えてくれています。
今も絶賛ストレス蓄積中ですが、あの時よりも息がしやすい日々を送っています。
適応障害は自分を変えるチャンスを与えてくれた
ストレスは誰もが受けていることです。適度なストレスはヒトにとって必要な事です。
大切なのは自分がそのストレスにどう対処していくか、です。
人と比べず、自分を見つめて自分にできる方法で解決していくこと。
それが時には逃げることかもしれないし、誰かに話すことかもしれないし、思考を変えていくことかもしれないし…
苦い経験は自分に行動力を与えて強くしてくれる気がします。
もし、ストレスが溜まってどうしようもなくなっている方、適応障害に悩んでいる方。
いろんなことがあるかもしれないけど、行動は変えられます。
もし、のすけのようにちょっと苦い痛い経験をしている方の参考になれば幸いです。
以上、のすけでした。