適応障害と2回目の休職体験記。ストレスから体調を崩して休むまで

メンタルヘルス
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どうも!のすけです。

人生、いろんなことがあって当然だよね!

ってことでまた適応障害で休職していました(-_-;)

初めて適応障害の診断がついた時もブログの記事書いて、前向きな事言っていましたが、人間はそんなに簡単に変われませんでした( 一一)

でも、また、振り返りをしたいと思います。

文章で残すことが今の自分に大切だと思ったので。

今、仕事がなぜか辛い人に「こんな人もいるけど、仕事してます!」という反面教師のような勇気づけになればと思います。

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1回目の休職から2回目の休職まで

のすけの1回目の休職は前の職場(病院でのリハビリ勤務)で適応障害と診断されたのがきっかけです。

その時の原因は仕事量の変化と人間関係。症状は不眠、食欲不振、疲労感…等でした。

元々その年に転職をするつもりだったのですが、診断がついてから前の職場にいるのがしんどくなって転職時期を早め、休職後そのまま退職の流れに。

転職と同時に仕事復帰(介護施設でのリハビリ業務)した形になりました。

職場を変えたので気持ちもリセットしてまた頑張れると思ったのだけど…

2回目の休職は転職してから1年半経ったくらいから。今回も仕事量の変化と人間関係が原因…

一度調子が悪くなるとそのままたたみかけるようにいろんな症状が出てきてしまったので、今の職場に就職して2年経ったころ、2回目の休職をしました。


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いなくなる仲間の存在

職場の周りの人は優しいし、仕事のノルマがこなせない時はカバーしてくれて。自分のペースで仕事ができたから気持ちの余裕を持ちながら働いていました。

入職した時はのすけが一番年下だったけど、世代が近い先輩上司が多く働きやすい職場で、ありがたい限り。

残業もほとんどなく定時に上がれて、仕事とプライベートの時間のバランスも保てていました。

少しずつ職場に慣れてきて先輩や上司と話せるようになってきて、いい流れがくると思った時に…

入職時にいた先輩や上司が次々退職

気がついたら入職2年経たず、一番長く在籍しているのがのすけでした。

これが体調を崩す引き金に。ダメージが大きかったんです。

今在籍しているスタッフと仲が悪いわけではありませんが、当時は頼ってきた人たちがいなくなったことで自分がどうすればいいのかわからなくなってしまいました。


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業務量と合わせて増えていくストレス

人が減れば新しい人が入るまで仕事量が増える。それは当たり前。

もちろん仕事の量は増えていきました。

のすけの主な業務は日中の決まった時間の中で施設入所の人や通いでくる利用者のリハビリをすることなので、仕事量が増えても時間が限られている分、効率的にこなしていくことが要求されました。

時間が足らない、でもやりきらなきゃいけない。他のスタッフはどんどん仕事をこなしていくのにわたしはうまくできない。

だめだ、もっと動かないと

単純に仕事が増えたことへの疲労感、仕事の変化への焦りやイライラがどんどん積もっていきました。

それにのすけがしているリハビリの仕事は、介護士や看護師に必要なことを相談しに行ったり、されたり、コミュニケーションが必要な仕事です。

業務量が増えれば他部署のスタッフとコミュニケーションを取る機会が増えるわけですが、関わる人が増えると小さな行き違いやトラブルが増えていきます。

連携が取れずに生じることは誰かが悪いとか言えないし、誰かが動かないと解決しないし、自分が動いて橋渡しになると仕事が増えるし…

自分は頑張っているのにどうして周りはやってくれないんだ!と思うことが増えていきました。

もともとのすけは人と話すことが苦手なので、連携を取るのが大の苦手です。

仕事が増える上に苦手なこともやっていかないといけないので、どんどん仕事に対しての視野が狭くなり、苛立ちを募らせるようになりました。


朝、目が覚めると失望する

前回の休職では不眠と合わせて食欲不振になったので、食事には気を付けていました。

今も眠剤を飲まないと寝付けないけど、ご飯は食べれているから大丈夫。

そう言い聞かせていましたが、今回現れた症状は朝起きた時の倦怠感と吐き気でした。

朝、目が覚めても布団から出られない

朝起きたすぐが一番しんどい

「今日も仕事か」「また、あそこ(職場)に行くのか」

平日の朝は「目が覚めると失望が待っている時間」でした。

なんとか起きて準備はして、家を出たまではいいけれど、通勤中のバスの中、職場に着いた後にやってくるのは「吐き気」や「気持ち悪さ」

吐き気止めを飲んで、その場は乗り切り仕事をする日々。

倦怠感や吐き気といったカラダの症状はのすけの仕事への体力や気力を奪っていきました。


休んでも解決すること、しないこと

布団から出られなくなり、職場では吐気に苦しみ、それから少しずつ仕事を休むようになりました。

時間休を使って遅めに出勤したり、早めに退勤したり。

上司には適応障害のことや体調を崩していることは以前より伝えていたので、「無理せず休んで下さい」と言ってくれていて、その言葉に甘えてみることにしましたが…

休めばその日の仕事からは逃げられて少しだけホッとするけど、体がゆっくり休まるかというとそういうわけでもなく。

自分が担当の仕事は残っていくので、休んだ分だけ自分の首を絞めるわけで。

減っていく有給に不安を感じるようになっていくし。

休んだからと言って休めるとは限りませんでした。


仕事が減っても、カラダとココロは変わらない

休み休み仕事してしばらくすると、仕事量が減って日中の業務に余裕ができるようになりました。

(ちなみに、のすけの仕事が減ったというよりも職場の経営状態悪化です(ーー;))

仕事量が減り余裕をもって取り組めるようにはなりましたが、のすけのカラダとココロは変わりませんでした。

朝は失望の時間だし、職場では気持ち悪くなるし、仕事もなかなか集中できないし。

だんだんそんな自分のことがイヤになっていきました。

ストレスのきっかけは仕事量や仕事内容の変化でしたが、ピークを越えた後は職場に行くこと自体が身体反応の原因になっていました。


休職しようかな、どうしようかな、気になったのは周りの目

仕事が落ち着いても、体調が改善してこない。

休職をしたいと考えるようにはなったけど、

今も休み休み仕事して他のスタッフに迷惑かけているのに、これ以上休んだら迷惑かかるだろうな。

休職したとなると周りにどんな風に思われるかな

休職したとして、復帰した後に働きにくくないかな

体調のことよりも自分が職場の人からどう見られるかの方が心配で、休みたいとは思いつつ、休職には少し抵抗がありました。

1回目の休職・転職は適応障害と職場から逃げるようにして即決して行動してしまったし、長期で休むことは自分の経歴に傷がつくような印象を持っていました。

ココロは休みたいと叫んでいても、周りの目を気にして、自分の今後を気にして、休むタイミングが分からなくなっていました。


働き続けるために、「休む」という選択

休みたいという気持ちと、休むことを良しとしない自分の考えの間にいたのすけが休職を決断したのは、「仕事をやめてしまいたい」という感情が大きくなったからでした。

今の職場をやめて転職しようかな

1回目の休職・転職と同じように「逃げ出す」選択を取ろうとしていました。

ただ、退職するのも転職するのもすごいエネルギーを使うことを前回の転職で痛感していたし、同じ選択をしたら同じ結果になる可能性が高いと思いで何とか踏みとどまり、

それで、結局選んだのが”休職”

今の職場で働き続けるにしても転職するにしても、いったん離れてから時間をおいて考えよう

と決めたのが休職に踏み切ったきっかけでした。

周りの目を気にしても自分のカラダは回復しないし、自分をいたわれるのは自分だけです。

仕事の選択も生活の選択も責任は自分です。

働き続けるために今は休む」という決断をしました。


今思う、休職してよかった

今、職場復帰して思うのは、「休職してよかった」ということです。

休む時間ができたことで自分の生活習慣や考え方を見直したり、時間のありがたみを感じることができました。

就労支援に通ったり友達とご飯に行ったりして気分転換も図れました。

休職前にはいろんな心配事をしていたけれど、復帰後も他のスタッフは普通に接してくれています。

のすけ自身が思っていたよりも「休む」ことは簡単で大切なことだとわかりました。


スムーズに休職するには?

休職自体は簡単にできる事ですが、現職に復帰することを考えるなら休む前から準備しておいた方がいいことがあります。

それについては今後ご紹介できればと思います(^^)

今回は適応障害と診断されたのすけが休職に至るまでの状態について紹介しました。

こんな私でも社会で生きています。

それぞれの働き方、過ごし方、休み方で明日も生きていきましょう!


以上、のすけでした!!

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